長崎をさるこうか
ここは、長崎市西泊町にある
「株式会社NTTワールドエンジニアリングマリン」社の海底線史料館です。

入り口でこの建物の由来の説明を聞きました


色々なケーブルの種類が展示してあります。


長崎の港から回収した食器のかけらです。
珍しいものですが、お宝ではないそうです。

こういう保存品もありました。
三船殉難事件で沈んだ小笠原丸の鐘です。

三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)とは、第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の1945年8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚げ船、小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の3隻の船がソビエト軍の潜水艦により攻撃され、小笠原丸と泰東丸が沈没し、1,708名以上が犠牲となった事件です。
これは、世界で唯一残っている『海底電線移動設置装置』です

じつくり時間をかけて見学できれば、まだまだ興味深いものが見つかるかもしれません
「株式会社NTTワールドエンジニアリングマリン」社の海底線史料館です。

入り口でこの建物の由来の説明を聞きました


色々なケーブルの種類が展示してあります。


長崎の港から回収した食器のかけらです。
珍しいものですが、お宝ではないそうです。

こういう保存品もありました。


三船殉難事件で沈んだ小笠原丸の鐘です。

三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)とは、第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の1945年8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の引揚げ船、小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の3隻の船がソビエト軍の潜水艦により攻撃され、小笠原丸と泰東丸が沈没し、1,708名以上が犠牲となった事件です。
これは、世界で唯一残っている『海底電線移動設置装置』です

じつくり時間をかけて見学できれば、まだまだ興味深いものが見つかるかもしれません

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